私は、知的障害者の施設で働いています。仕事で手話そのものを使うことはほとんどありません。げれど、言葉を自由に操れない人と日々接するなかで、手話は、言葉以外のコミュニケーションの大切さをいつも私に教えてくれます。
私たちの社会では、言葉のやりとりが大きな位置を占めています。
言葉という音声言語を流暢に使いこなせる人がいつも有利な立揚に立っているような気がします。
知的障害を持つ人と理解しあうために、言葉に頼るのはあまり意味を持たないことです。
言葉をまったく持たない人もいますし、たとえ言葉を持っていたとしても、それを自由に使いこなせないために、誤解を受けてしまう人も多くいます。
表情や声、絵や記号、身ぶり手ぶり、その人の行動パターンなど、ありとあらゆる手段を使って、相手が何を言いたいのか理解する努カをします。
手話はいつも、私がいかに言葉に頼っているかを気づかせてくれます。与えられた課題で手話表現する時も、言葉だけにとらわれてしまい、言いたいことがどこにあるのかを読み取れないことも多いです。
最近、知的障害者のコミュニケーション手段として、手話に似たサインを使う「マカトン法」も注目されつつあります。泣くしか表現手段を持たなかった人たちが、このサインで自己表現をし始めているそうです。
手話は、人と人とが理解しあうためには言葉以上に豊かな表現手段があるということを、常に私に教えつづけてくれています。(NE)