手話と私

◆ 宮本まどかさんの講演「難聴おばさんのためいき」を聞いて

心の輝き
 内面からにじみ出る輝きを放ちながら、ユーモアをまじえ独特の穏やかな雰囲気で始まったお話。
 静岡県浜松市でお生まれになり、神経性高度難聴と診断されて、幼稚園では聞こえないこと・言葉を発することができないことでいじめられ、その辛い経験を鮮明に覚えているそうです。

想像力を絶する努力と精神力
 言葉にもリズムがあるとお母様が気付かれピアノを訓練に取り入れたことがきっかけで、現在はピアニストとしても活躍されています。
 当時、浜松ろう学校では、手話禁止の聴覚口話法の教育。発声の訓練は様々な方法で時間をかけて行われ、さらに自宅で暗い部屋の中で神経を研ぎ澄まし集中力を高め少しでも残っている聴力をのばしていく厳しい訓練をお母様と共に行っていたというお話に、私はご両親の深い愛情とまどかさんの想像を絶する努力と精神力を感じました。

“百人百色”
 100人の聴覚障害者がいれば、100通りの障害の度合いがあり、特別な訓練もその人に合った方法やタイミングがあると思いますが、大変な思いでそれぞれの壁を乗り越えてきているんだなと改めて感心しました。
 私はまだ、まどかさんのピアノ演奏を生で聞いたことはありません。ぜひピアノで表現している心の声を身体全体で感じてみたいと思っています。

キラキラしたエネルギー
 辛い経験を全て受け入れ、あきらめず色んなことに挑戦をし続ける地道な努力。そのキラキラしたエネルギーが伝わってきました。そしてパワーを頂きました。
 TV「聴覚障害者のみなさんへ」の司会、全国各地でのトーク&ピアノコンサート、手話指導や講演会などで精力的にご活躍されているまどかさん。自然体で魅力あるとっても素敵な女性、尊敬いたします。ご主人や娘さんとのご家族の温かい信頼関係も素晴らしいなぁと思いました。

「心」を大切に
 私は、手話を身に付けるための努力が足りないと反省しながら、通じ合うトータルコミュニケーション、「心」を大切にあきらめずマイペースで手話の学習を続けていこうと思いました。とても清々しい気持ちです。(渋谷区登録手話通訳者の会主催、2003年11月、裕)  
                        

 

◆病院の受付で聞こえない人と出会って

  私が手話に興味を持ったのは、最初はテレビドラマ『君の声が囁いている』からでした。その時は手話にというよりは、耳が聞こえないということについて少し考えさせられたなという感じでした。
  私たちが当たり前にしていることが、どれほど困難だったり危険だったりするのか、逆に聞こえないからこそ感受性が豊かであったり、日常の中にたくさんの感動を覚えたりすることがあるのだろうななど。
  そして手話ができればなと思ったのは、病院で受付の仕事をしていた時でした。耳が不自由な患者さんがいらしたのですが、私が手話がわからないので筆談となりました。先生にも何かと伝えにくかったようで、次回その方はメモにその日食べた物や症状などを書いて持って来られました。
  私は待合い室にいる患者さんたちと話すことも多かったので、あの時手話を知っていればその患者さん(とても明るい感じのおじさんでした)とも、もう少しコミュニケーションがとれたのになと思います。
  それから随分と月日が経ってからとなりましたが、このようなサークルの存在を知り参加することができて、嬉しく思っています。
  手話を通じて、またこのようなサークルを通じて、子供からお年寄りまでいろんな人たちとの輪を広げられたらと思います。(NH) 


◆母の介護から

    手話を勉強を始めてからもう8年が経ちました。今振り返ってみると、とても懐かしい思いがします。
 私が手話を始めた理由は、母の介護をしていた時、母が喉に管を入れていたため声が出せず、50音図と数字表を使い、手振り身振りでコミニュケーションをとっていました。
  その時は、まだ手話というものを知らず、その後手話という手を使って自分の意志を相手に伝えられる言葉のあることを知り、覚えたいと思ったのです。これからも細く長く手話の勉強を続けていきたいと思っています。(YK)


◆継続は力!

   「講習会3年間終了したら、私もあんな風に手話が出来るようになるんだろうな♪」 初級入会後、先輩方のスムーズな手話を見るたびに、そう期待していた私。
 中級上級、そして卒業。期待は裏切られ、最初思い描いていたようには上達しないけど手話の勉強は楽しい。サークルの人たちや聴覚障害の人たちとの交流も楽しい。
 気がつけば初めて手話を学んでからもうすぐ6年。継続は力なり。これからも(欠席は多いものの)サークルに通い、勉強を続けて行きたいと思っています。(RA)
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◆難聴学級の経験から

    学生のとき、私は、小学校の難聴学級で、1カ月間教育実習をしました。実習の最後に、先生方の前での研究授業。個別指導のため、生徒は3年生の難聴児1人。
  初めは指導計画通りに進んでいきましたが、途中、その生徒が「高い」という言葉を知らないことがわかって、私はすっかりあわてて、その後の授業は惨憺たるものでした。
  後で担当教官に「実際に立って背比べをしてみて、先生は高いけど、○○ちゃんは低いねえ」という方法もあった、と言われ、我ながら何故思いつかなかったのだろう、と情けなく思いました。
  最近、手話に関わるとき、あの先生に指摘された(手話表現するときの)具体化の大切さを思い出すことが少なくありません。(NU)

◆ろう演劇にハマッて

    手話とまったく接点もなく、手話や点字に興味を持ってはいるけれど……という私は、NHKの手話の番組などを偶然テレビで見るだけでした。
  それが、友人に連れられて行ったろう者劇団の公演にハマッたことで、劇を見ることが毎年の恒例行事になりました。
  その後、手話を通じて知り合えたろう・難聴・健聴の人たちはとても活動的で、怠け者の私をいろいろと導き、良い刺激と手話の場を与えてくれます。(IM)


◆手話を習って見えてきたもの

   私が手話の勉強を始めたのは、当時出会ったばかりの聞こえない人の喜ぶ顔が見たかったからです。
   あれからかなりの年月が経ちました。通じる喜び、視覚言語の魅力、そして難しさ……今まで何度となく挫折しそうになりました。そのたびに聞こえない友人、一緒に学ぶ仲間に助けられ、ここまで続けることが出来ました。
 手話を学び、聞こえない方々と交流する中で、耳以外に障害がある人々のこと、お年寄りのことをも色々と見えてくるようになりました。それは、言葉で表現するのは難しいけれど、それぞれの気持ちや立場、権利など……手話を学ぶ前には気づかなかったことです。それを自分の身近な人たちに伝えていくことも大事な使命だと思っています。
  サークルでは、ろう・健聴者を問わず様々な世代の方々と交流することができ、手話以外でも視野を広げられるのが大きな魅力です。(KN)

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