プロゴルファー菊地倫彦さんの講演から


★聴覚障害を乗り越えてプロの道へ


スポーツの世界では、まず学校の中で一番になると、次に市町村など地区大会、さらに県大会、そのうえに全国大会というようにピラミッド型になっています。

だから全国大会に出られるだけでもすばらしい選手なのですが、そこで優勝し日本代表になってオリンピックや世界選手権大会に出場するとなるともう雲の上の存在です。 でもさらに雲の上があります。そうプロの世界です。

オリンピックで金メダルをとっても、プロで活躍できるとはかぎりませんから、プロというのは、一流選手にとっても超がつく別格のレベルであり、 並の選手にとっては想像を絶する世界なのです。


★勝ち組ではなく幸せ組を!


聴覚障害というハンディをもちながら、プロの世界にいる講師の菊地さんは、いわば勝ち組の代表ともいえる人で、 100年に1人出るか出ないかの大天才でなのです。

そんな菊地さんだから、たぶん、講演では「勝ち組を目指せ」と言うだろうと思っていましたが、逆でした。勝ち組と幸せ組に分けるとしたら、 後者を選ぶと言います。なぜなら、 ねたまれることも何かを犠牲にすることもなく、 家庭・仕事・健康・教養・趣味のいずれも犠牲にせず、幸福感を持ち続けられるからだそうです。

その背景にあるのは、過去の生い立ちに照らして支え合う人間同士の絆がもっとも大切ということにあるようです。


★他人を思いやる心


現在の日本では、「夢をめざす」ことが、「受験戦争を勝ち抜くこと」(仲間より上に立つこと)にすり替わり、「自分さえ良ければ病」が蔓延する原因となっています。 初詣でも祈るのは自分のことだけで、他人のことはお構いなしです。

「隣の人が不幸だったら少しも幸せでない」というフランス人の友愛・博愛の精神があったら、日本はもっと変わっていたかもしれません。戦前(大正期)には、 友愛会という団体もあったのですが・・・


★競争でなく共生の社会を!


菊地さんは、自分がプロになれたのは、競争でなく助け合い支え合う人間関係があったからと考えているようで、 自己中心になる競争原理を全面的に否定しているように思えました。

かつて、スタートが同時なら平等だとうそぶいた首相がいましたが、同時スタートといっても、ハンディを抱えた人のスタートは 決して平等とはいえません。大切なのは、スタート地点にみんなが立てるだけでなく、スタート後、みんなで協力してゴールをめざすことなのです。 ひとりだけ先にゴールしても、その人以外、幸せになれないのです。

人同士が絆で結ばれ、思いやりと感謝の気持ちを持って初めて人間社会が成り立つということを再認識させてくれる講演会でした。



 





講演会「私の戦争体験」から


8月26日(金)に第2回の講演会が開催されました。講師は渋谷手話の会および渋谷区聴覚障害者協会の創設者で、当手話の会初代会長の鈴木登さん。 テーマは「私の戦争体験」で、鈴木さんが10代の頃暮らしていたのどかな地方にも焼夷弾が落ちたこと、その後、戦争体験を書いた多くの本を読み、 学んだこと感じたことなどをお話しいただきました。以下は講演を聞いた参加者の感想です。


★戦争体験を語り継ぐことの重要さを痛感

貴重な体験のお話をうかがいつつも、ユーモアを交えての講演はとても楽しく聞くこと
ができました。戦後60年を経た今年、 日本だけでなく各国で戦没者への追悼を含めてあの戦争の見直し、あるいはあの戦争を踏まえての世界平和への探求もなされてはいますが、 今後の国際社会は決して安寧ではありません。戦争体験者の話を語り継ぐことはこれからますます必要になると思います。 毎年やっていただきたいと思います。
私も手話でこのような課題について話し合えるように、細々と手話の勉強を続けていきたいです。

★戦争体験を風化させてはいけない

戦争体験は身近な方から聞くほうがスムーズに受け止めることができる。大変良いお話をうかがえたと思います。 後半のお話の中でのシベリア抑留のお話は、主人の父からも聞いたことを思い出しました。戦争を知らない人間が増えている中、 折に触れ身近な方からお話を聞くことはとても大切であり、これからも機会あるごとに戦争体験のお話は聞きたいと思います。 風化させてはいけないと思います。

★平和を受け継いでいくのは私たち

戦争体験は本で読んだり、身内から聞いたり、実際に体験者のお話をうかがうことも何回かあったにもかかわらず、 鈴木先生のご実家での体験は貴重なお話でした。それぞれの年代、地域により、いろんな角度から60年前に終わった戦争が鮮やかに描かれるのは、 やはり、体験者ならではと感じました。
後半の先生が戦後に読まれた本の内容についての想いも惹きつけられました。体験者がだんだん少なくなっていく時、 紹介してくださった本も読まなければと思います。
60年も平和が続いたのですから、これからも永遠に平和でありますように、今、生きている私たちのせめてもの努力で、 受け継がなければ強く思いました。

★亡父から聞かされていたシベリア抑留

シベリア抑留の話を聞き、主人の父(30年前に亡くなりました)を想い出しました。亡父は4年位シベリアに抑留されていました。 軍人ではなく満州鉄道の駅長をしていて、妻子(子供2人)は終戦前に日本に戻って無事だったとのことでした。 亡父からシベリアでの生活の様を聞いていましたので、亡父を想いだし、本当に大変な生活をしていたことと感じています。

★戦争で亡くなった人々を思う心

戦争に関する貴重なご体験をありがとうございました。特に先生自らが読んでくださった「妹へ」という詩に感激いたしました。
音楽の大切さを語られた先生の感性にも感激いたしました。私も音楽に対しての思いは先生の感に共感いたします。
“音”を超えた“心”をしっかりと私たちに教えてくださっています先生に出会えたこと、そして、今日も心豊なお話を賜り嬉しかったです。 戦争で大切な命を亡くした人たちを偲びながら生きていらっしゃる先生の人生だからこそ、 今日のようなお話を人々に与えられ感動を与えられるのだと確信しました。

★「社会全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」

詩「花」〜妹に〜は感動しました。辛い戦争体験を兄妹たちとのエピソードを交えてお話いただきありがとうございました。
「社会全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」 そう思える人が少しでも増えるといいと思います。貴重なお話を本当にありがとうございました。

★私の戦争体験と重なって

私の戦争体験は1945年当時小学校2年生。鈴木先生の体験は私にも通じるものがあります。特に8月15日の放送の後、 家族・親戚の人たちの様子を鮮明に覚えております。東北の片田舎ですが、叔母が「もう東京には帰れない・・・」と泣きながら話しておりました。
初級の時の鈴木先生に教わった数々の手話表現が基盤にあり、これからも続けて参ります。ありがとうございました。

★娘に伝えたい“戦争の裏”にあるもの

今日は久しぶりに先生の手話を拝見させていただきました。お話も私たちが知らない時代の“戦争の裏”の事実を教えていただいて、 娘に聞かせようと思います。手話だけでは内容を理解することは難しいですが、通訳の先生がいらしたので分かりました。
日々手話の勉強では落ち込んでいますが、この講演で頑張る勇気をいただきました。

★同世代としての同じ思い

鈴木先生の講演会が開かれると先週聞き、楽しみに参加させていただきました。同世代として懐かしいことが色々と思い出され大変有意義なひと時でした。 先生の手話表現と通訳の山田会長の“掛け合い”がとても良くいい感じでした。感謝。



付録 読書感想コンクールから

「さっちゃんの魔法の手」

 私は、5歳の時、「魔法の手」という文を書きました。それは、お母さんの手のことで、同じ手なのに何でもできることが、まるで、  魔法をかけているように思ったからです。
 だから、『さっちゃんの魔法の手』という本を見て、どんな魔法を使うのか楽しみでした。
 ところが、さっちゃんという子の右手にあるはずの指がないのです。びっくりです。
今まで、手に指があるのがあたりまえと思っていたからです。
  うきうきの気持ちがいっぺんにどきどきに変わってしまいました。
 もし、私の手の指がなかったらどうでしょう。
着替えの時、ボタンがかけられません。お食事の時、お箸も持てません。
たぶん遊ぶ時も右手を隠していて、仲間に入れないかもしれません。
 それなのに、さっちゃんは、みんなと仲良く遊べるから、 私よりすごーく強くてえらいなあと、 あとで感心しました。  幼稚園のママゴト遊びで、お母さんになりたかった時、お友だちから、「指のないお母さんなんて変」 と言われました。私は、自分が言われているようで、 悔しくて涙が出ました。 
友だちは、自分がお母さんになりたくて、言ったのです。
   誰だって、体が不自由な人になりたい人はいないのです。どんなに悔しくても、
人の体や心を傷つける言葉は、言ってはいけないのです。
 私も、1年生の時、いじわるな言葉で毎日が悲しくていやだったからよくわかります。・・・・・

 もしかすると、さっちゃんより、お父さんやお母さんのほうが悲しんでいたと思います。
 けれど、さっちゃんの右手の不思議な力がパワーとなって、
みんなが元気になれる本当の魔法の手なのです。
きっとお友だちも今までより、ずっと仲良くなれると思います。  (小学2年 粟生 美幸)




教育・生涯学習。。。


 人生のどんなステージにおいても、人は育てられる人である、と同時に、育てる人になります。
人種・性別・年齢・障害の有無を問わず、それは誰にでも当てはまります。
 渋谷区は、ダイバーシティ、インクルージョン、ノーマライゼーション、における先進的都市を目指して
いますが、 それには、人間の多様性を学び、尊重し、すべての人を愛せるような、教育が必要であり、
また、青少年の時だけでなく、 生涯にわたって受けられる、教育の機会均等と仕組みが、保障されなければなりません。
こうした生涯教育においては、 すべての人が教える人となり、また教えられる人となります。

福  祉

 あらゆる人が自分らしく生きられる町、であるためには、青少年、高齢者、障害者、生活困窮者など、すべての人を社会から
孤立させないことが必要です。
 そのためには、解決しなければならない問題が多くあります。具体的には、子どもの場合、いじめ、登校拒否、それに伴う家出、
繁華街徘徊、非行、風俗への転落などであり、成人の場合は、失業、貧困、家庭内暴力DV、児童虐待、育児放棄、ギャンブル・麻薬中毒などです。
また、高齢者の場合は、虐待・遺棄、認知症による徘徊、寝たきり生活などであり、障害者の場合には、差別・侮蔑、排除、放置など、
生活困窮者の場合は、ホームレス、路上生活などです。
 これらは、いわば、繁栄の負の部分であり、ふたをするのではなく、みんなで考え、原因を究明し、負の部分をなくす努力が必要です。
 また、こうした負の部分の根底にあるのは、経済的貧困と、人間関係の破綻です。まず、これに向き合わなければ、絆を強くして、共に生きる社会を 創造する、といっても、絵に描いた餅にすぎません。
コロナ後の社会、を見すえ、豊かさとは何か、幸福とはなにか、社会進歩とは何か、福祉とは何か、などをあらためて原点から考え直し、
過去にとらわれず、地球、あるいは自然と調和した、新しい価値観を模索することが、今、私たちに求められています。
◇◇伝言板K◇◇